| 楽農会のはじまり |
―――農業を楽しく続けていこう!という想いが私たちの原点です。
夕張川と隣り合わせ、森林地帯は夕張連峰に属し馬追山系が広がる自然豊かな町―
そのような北海道夕張郡の由仁町に、『楽農会』はあります。
さかのぼるのはバブル期。
「日本全体の地価を合計するとアメリカが2つ買える」と言われるほど不動産や株式などの資産価値が高騰し、ブランド志向や高級外車、絵画・骨董品・リゾートなど、一大消費ブームが、文化や国民の消費生活を劇的に変化させた時代です。
今振り返ると、バブル期の評価については、多々意見の別れるところでしょうが、当時は、このバブル景気というかつてない現象に、日本中が沸きかえっていた時代でもありました。
そんな時代背景の中、
「農業も、楽しくやっていこう。継続して楽しい明るい話を!」
という想いから、楽しい農業の会、『楽農会』が生まれました。
バブル景気は90年代に入って崩壊しましたが、「楽農会」は、発足当初の「農業を楽しむ」という心意気を忘れることなく、今もなお、こだわりの農産物を作り続けています。
培った経験を余すことなく今現在の栽培に役立て、地道に継続することと、新しくチャレンジすること、その両方が、私たちの農業を支えています。
農業は、経験と技術、総合的な知識が必要な仕事です。
作物のこと、気候のこと、経済のこと、マーケット戦略など、全てを網羅していなければ成り立ちません。
それと同時に、農業は、去年の経験がそのまま今年通じるとは限らない“おてんと様次第”の世界でもあります。
そう考えると、私たちはいつも“はじまり”にいるのかもしれないと思うのです。
その気持ちがまた、農業を楽しむ原動力になっているように感じます。

▲楽農会のメンバー |
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| レッドアンデス |
―――作り続けるのは「美味しさを届けたい」からです。
楽農会を語る上で外せないのが「レッドアンデス」です。
レッドアンデスは、外皮が赤で中身が黄色のちょっと変わったじゃがいもです。もう、20年以上作り続けている、楽農会の代表選手です。
20数年前、農業をやっていた大先輩が、市場で珍しい赤い芋を見つけてきました。
それを皆で食べたら、なんとまぁ、美味しいこと!
それがきっかけで試験栽培を開始し、そこからレッドアンデス作りがはじまりました。
全国で初めに、正式に原原種の配付が決まったのが岡山県で、これが1990年のこと。十勝農協連が原原種の増殖を承諾されたのも2000年ですから、楽農会の取り組みは、全国を先駆けてのものだったといえます。
レッドアンデスはじゃがいもの中でも、とてもデリケート。
気候による急激肥大や芽が出やすい等、栽培上障害の多い品種です。
それでも、20年以上レッドアンデスを作り続けているのは、
「多くの人に美味しさを届けたい」
という想いがとても強いからです。
自分たちが「これはおいしい!」と自信を持って勧められるものを作り、それを食べた人に「おいしい!」と言っていただけたら、これに勝る喜びはありません。 |
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| とうや |
―――由仁町の特産品を作ろうと思いました。
由仁町では、じゃがいものそうか病(皮が破れて茶色の粉が出てくる病気)に悩まされていました。
その被害を少しでも減らし、由仁町の特産品を作ろうと、早生種を植え始めたのが、とうやの栽培のはじまりです。
どのじゃがいもも、種を植える時期は同じですが、とうやはいち早く大粒のじゃがいもに育ちます。
はじめ関西で流通させていましたが、いまや需要に供給が追いつかなくなるほど人気を博しています。 |
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| シャドークイーン |
―――絶えず挑戦することが農業を楽しむ秘訣です。
2009年から栽培を始めた新しい品種に、シャドークイーンというじゃがいもがあります。紫色の外皮と中身という、一風変わった、ジャガイモらしからぬ風貌の品種です。
紫色のジャガイモを使う料理番組を、TV(北海道の民放)で見たのがきっかけで、2007〜2008年、キタムラサキというじゃがいもを栽培していました。
こちらも皮と中身が紫色のじゃがいもだったのですが、加熱するとグレーになる品種。食感は里芋のようで人気があったのですが、加熱後の色の悪さから、なかなか需要が伸びませんでした。
その後、期待のカラフルポテト「シャドークイーン」が登場!
加熱をしても色が落ちず、鮮やかな紫色が特徴のじゃがいもが、ついに現れました。
一般流通はしておらず、まだまだ認知度の低い品種ですが、じゃがいものイメージを一新させる色と食感には価値があると思い、育てています。
今は、この美しい紫色を活かすことができる料理を研究をしている最中です。 |
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